10月24日(月)19時からのクイズプレゼンバラエティーQさま!は「美大生が選んだスゴイ芸術家ベスト30から出題!秋の「学力王」No.1決定戦 3時間スペシャル!」
「美術系の大学に通う学生がスゴイと思う芸術家」のアンケートを実施し、スゴイ芸術家ランキングを発表!
Contents
- 第30位 雪舟(せっしゅう)
- 第29位 ムンク
- 第28位 ロダン
- 第27位 歌川国芳(うたがわ くによし)
- 第26位 新海誠(しんかいまこと)
- 第25位 エッシャー
- 第24位 レンブラント
- 第23位 シャガール
- 第22位 岡本太郎(おかもとたろう)
- 第21位 ゴーギャン
- 第20位 水木しげる
- 第19位 コルビュジェ
- 第18位 クリムト
- 第17位 葛飾北斎(かつしかほくさい)
- 第16位 ルノワール
- 第15位 ダリ
- 第14位 マグリット
- 第13位 ミケランジェロ
- 第12位 手塚治虫(でづかおさむ)
- 第11位 ゴッホ
- 第10位 アンディー・ウォーホル
- 第9位 草間彌生(くさまやよい)
- 第8位 レオナルド・ダ・ヴィンチ
- 第7位 アルフォンス・ミュシャ
- 第6位 フェルメール
- 第5位 細田守(ほそだまもる)
- 第4位 伊藤若冲
- 第3位 ピカソ
- 第2位 モネ
- 第1位 宮崎駿(みやざきはやお)
第30位 雪舟(せっしゅう)
雪舟(せっしゅう、応永27年(1420年) – 永正3年8月8日(諸説あり)(1506年))
雪舟は、室町時代に活動した水墨画家・禅僧。
「雪舟」は号で、諱は「等楊」と称した。
備中に生まれ、京都相国寺で修行した後、大内氏の庇護のもと周防に移る。
その後、遣明船に同乗して中国に渡り、李在より中国の画法を学んだ。
代表作は、「四季山水図(山水長巻)」「秋冬山水図」「天橋立図」「破墨山水図」「慧可断臂図」など。
出典:http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/suibokuga/item04.html
第29位 ムンク
エドヴァルド・ムンク
(1863年12月12日 – 1944年1月23日)
エドヴァルド・ムンクは、19世紀-20世紀のノルウェー出身の画家。『叫び』の作者として世界的に有名で、ノルウェーでは国民的な画家である。
有名な作品が19世紀末の1890年代に集中しており、「世紀末の画家」のイメージがあるが、晩年まで作品があり、没したのは第二次世界大戦中の1944年である。気に入った作品は売らずに手元に残しており、死後は遺言によって、手元に残していた全作品がオスロ市に寄贈された。このため代表作の多くは1963年にオープンしたオスロ市立ムンク美術館に収蔵されている。
出典:wikipedia
第28位 ロダン
オーギュスト・ロダン
(1840年11月12日 – 1917年11月17日)
フランソワ=オーギュスト=ルネ・ロダンは、フランスの彫刻家。19世紀を代表する彫刻家とされ、『近代彫刻の父』と称される。
代表作に『地獄の門』、その一部を抜き出した『考える人』など。
『考える人』 ロダン美術館、パリ
第27位 歌川国芳(うたがわ くによし)
歌川国芳
(1798年1月1日 – 1861年4月14日)
歌川 国芳は、江戸時代末期を代表する浮世絵師の一人であり、画想の豊かさ、斬新なデザイン力、奇想天外なアイデア、確実なデッサン力を持ち、浮世絵の枠にとどまらない広範な魅力を持つ作品を多数生み出した。
こちらは 歌川国芳の「東都三ツ股の図」
天保2(1831)年ごろの作とされ、隅田川にシジミ取りの舟が浮かび、手前には舟底をいぶす2人の職人が描かれている。
左後方にスカイツリーのような塔が描かれていることから、都市伝説になっているようです。
信じるか信じないかはアナタ次第です・・。
第26位 新海誠(しんかいまこと)
新海誠 (1973年2月9日~ )
2016年の大ヒットアニメーション映画作品『君の名は。』の監督。
『君の名は。』は10月の時点で日本の歴代興行収入ランキング11位。
高校3年生の美術の教科書にも載っているそうです!スゴイですね!
第25位 エッシャー
マウリッツ・エッシャー (1898年6月17日 – 1972年3月27日)
マウリッツ・コルネリス・エッシャーはウッドカット、リトグラフ、メゾティントなどの版画製作でよく知られたオランダの画家である。
建築不可能な構造物や、無限を有限のなかに閉じ込めたもの、平面を次々と変化するパターンで埋め尽くしたもの、など非常に独創的な作品を作り上げた。
出典:http://www.az-art.net/shopdetail/001000003259/
主な作品は二つの手がお互いの手を書いている 『描く手』、波うつ水面を境に魚と鳥のパターンが交錯する 『空と水』、新しい遠近法のあり方を示した『階段の家』、実際には作ることができないループ状階段をのぼり続ける人と下り続ける人を描いた 『上昇と下降』などが有名である。
第24位 レンブラント
レンブラント・ファン・レイン
(1606年7月15日 – 1669年10月4日)
レンブラント・ハルメンソーン・ファン・レインは、ネーデルラント連邦共和国の画家で、バロック期を代表する画家の1人である。
レンブラントの通称で広く知られ、大画面と、光と影の明暗を明確にする技法を得意とした。
『夜警』 出典:Wikipedia
第23位 シャガール
マルク・シャガール (1887年7月6日 – 1985年3月28日)
マルク・シャガールは、20世紀のロシア出身のフランスの画家。
エピソード
ホンダの創業者、本田宗一郎とパリで会った経験を持つ。この時本田は、日本からのお土産は何にしようかと迷いに迷った末、毛筆、墨、硯の一式を持っていくことに決めた。いざシャガールに会いに行くと、「これはどう使うのか」という話になり、あれこれ説明しているうちに、いきなり席を立って画室にこもってしまった。何が起きたのかわからず、戸惑う本田に、シャガールの妻が「もう、主人の出てくるのを待っていてもいつになるかわかりませんよ。あなたからもらった筆を実際に試しているのでしょうが、こうなったら何時間でも画室にこもったきりになってしまうのです」と説明したという。シャガールの探究心の旺盛さを示すエピソードである
代表作
I and the Village(1911年) ニューヨーク近代美術館
七本指の自画像(1912年 – 1913年) アムステルダム市立美術館
誕生日(1915年) ニューヨーク近代美術館
Green Violinist(1923年) グッゲンハイム美術館
青いサーカス(1950年) ポンピドゥー・センター
イカルスの墜落(1974年) ポンピドゥー・センター
America Windows(1977年) シカゴ美術館
バレエ『アレコ』(1942年) 舞台背景画 第1、2、4幕 青森県立美術館
バレエ『アレコ』(1942年) 舞台背景画 第3幕 フィラデルフィア美術館
イスラエル十二部族(1962年) ステンドグラス エルサレムの病院のシナゴーグ(礼拝堂)を飾る
第22位 岡本太郎(おかもとたろう)
岡本太郎 (1911年2月26日 – 1996年1月7日)
岡本 太郎は、日本の芸術家。血液型はO型。 1930年から1940年までフランスで過ごす。抽象美術運動やシュルレアリスム運動とも交流した。
第二次世界大戦後、日本で積極的に絵画・立体作品を制作するかたわら、縄文土器論や沖縄文化論を発表するなど文筆活動も行い、雑誌やテレビなどのメディアにも1950年代から積極的に出演した。
「芸術は爆発だ!」など、数々の名言を残されています。
太陽の塔
総高70メートルという巨大スケールの作品。1970年に大阪府吹田市で開催された日本万国博覧会(EXPO’70・大阪万博)の会場に、芸術家の岡本太郎が制作した芸術作品であり建造物である。
第21位 ゴーギャン
ポール・ゴーギャン (1848年6月7日 – 1903年5月8日)
ウジェーヌ・アンリ・ポール・ゴーギャンは、フランスのポスト印象派の画家。姓は「ゴギャン」「ゴーガン」とも。
タヒチの女(浜辺にて)
第20位 水木しげる
水木しげる (1922年3月8日 – 2015年11月30日)
水木 しげるは、日本の漫画家。文化功労者、傷痍軍人。本名は武良 茂(むら しげる)。
大阪府大阪市住吉区出生、鳥取県境港市入船町出身、東京都調布市在住。ペンネームは、紙芝居作家時代に兵庫県神戸市で経営していたアパート「水木荘」から名付けた。
1958年に漫画家としてデビュー。代表作の『ゲゲゲの鬼太郎』『河童の三平』『悪魔くん』などを発表し、妖怪漫画の第一人者となる。
第19位 コルビュジェ
ル・コルビュジエ (1887年10月6日 – 1965年8月27日)
ル・コルビュジエはスイスで生まれ、フランスで主に活躍した建築家。本名はシャルル=エドゥアール・ジャンヌレ=グリ。
フランク・ロイド・ライト、ミース・ファン・デル・ローエと共に「近代建築の三大巨匠」として位置づけられる。
ル・コルビュジエの建築作品―近代建築運動への顕著な貢献
20世紀の近代建築運動に多大な影響を及ぼした一人であるル・コルビュジエの作品群、ことにその中でも傑作とされる住宅、工場、宗教建築などをまとめて世界遺産リストに登録した物件である。世界各地に残るル・コルビュジエの建築作品のうち、フランスを中心とする7か国に残る建築群が対象となっており、大陸をまたぐ初の世界遺産登録となった。
国 名 | 資産の名称 | 設計決定年 |
フランス(10) | ラ・ロッシュ=ジャンヌレ邸 | 1923 |
ペサックの集合住宅 | 1924 | |
サヴォア邸 | 1928 | |
ナンジュセール・エ・コリ通りのアパート | 1931 | |
マルセイユのユニテ・ダビタシオン | 1945 | |
サン・ディエの工場 | 1946 | |
ロンシャンの礼拝堂 | 1950 | |
カップ・マルタンの小屋 | 1951 | |
ラ・トゥーレットの修道院 | 1953 | |
フィルミニの文化と青少年の家 | 1953 ~1965 |
|
スイス(2) | レマン湖畔の小さな家 | 1923 |
イムーブル・クラルテ | 1930 | |
ドイツ(1) | ヴァイセンホフ・ジードルングの住宅 | 1927 |
ベルギー(1) | ギエット邸 | 1926 |
アルゼンチン(1) | クルチェット邸 | 1949 |
インド(1) | チャンディガールのキャピトル・コンプレックス | 1952 |
日本(1) | 国立西洋美術館 | 1955(※1) |
出典:http://www.city.taito.lg.jp/sekaiisan/seibi_5suisen.html
第18位 クリムト
グスタフ・クリムト (1862年7月14日 – 1918年2月6日)
グスタフ・クリムトは、帝政オーストリアの画家。
代表作
「アデーレ・ブロッホバウアーの肖像1」(1907年)が絵画としては史上最高額の1億3500万ドル(約156億円)で売却された。
『接吻』
『音楽』 – (1895年、ノイエ・ピナコテーク)
『パラス・アテナ』 – (1898年)
『ユディトI』 – (1901年、ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館)
『ベートーヴェン・フリーズ』 – (1901年 – 1902年、セセッション館)
『マルガレーテ・ストンボロー=ウィトゲンシュタインの肖像』 – 哲学者ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインの姉 (1905年、ノイエ・ピナコテーク)
『生命の樹』 – (1905年 – 1909年、ストックレー邸のフリーズ)
『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』 – (1907年、個人蔵。2006年、絵画として当時の最高値の156億円で売却。ノイエ・ギャラリー(ニューヨーク)に展示されている)
『接吻』 – (1907年 – 1908年、ベルヴェデーレ宮殿オーストリア絵画館)
『ダナエ』 – (1907年 – 1908年、個人蔵)
日本にあるクリムト作品
『左を向いた少女』 – (1880年頃、東京富士美術館) 油彩・キャンバス 24.0×16.8cm
『森の奥』 – (1881年-1882年、飛騨高山美術館)油彩・キャンバス 11.5×15.6cm
『人生は戦いなり(黄金の騎士)(文化遺産オンライン)』 – (1903年、愛知県美術館)油彩 テンペラ 金箔・キャンバス 100.0×100.0cm トヨタ自動車の寄付金により約17.7億円で購入
『オイゲニア・プリマフェージの肖像』- (1913年 – 1914年、豊田市美術館)油彩・キャンバス 140x85cm トヨタ自動車の寄付金により約18億円で購入
『女の胸像』 – (1897年-1898年、姫路市立美術館) 黒チョーク・紙 45.2×32.3cm
『立つ女の半身像』 – (1903年、姫路市立美術館) 黒チョーク・紙 45.3×32.2cm
『読書する婦人』 – (1908年、イセ文化財団)鉛筆・紙 54.3×36.5cm
『腰に手をあてる裸婦』 – (1916年-1918年、イセ文化財団)鉛筆・紙 57.1×37.5cm
『若い女の横顔』 – (制作年不詳、豊田市美術館)鉛筆・紙 30.5x39cm
『無題』 – (制作年不詳、宮城県美術館(佐藤忠良コレクション)) 鉛筆 色鉛筆・紙 55.2x35cm
『第1回オーストリア造形芸術家協会(ウィーン分離派)展』(文化遺産オンライン)』 – (1898年、宇都宮美術館) ポスター(リトグラフ) 64.0×50.0cm
『第1回ウィーン分離派展』 – (1898年、川崎市民ミュージアム) ポスター(リトグラフ) 63.2×46.2cm
第17位 葛飾北斎(かつしかほくさい)
葛飾 北斎 (1760年10月31日 – 1849年5月10日〉
葛飾 北斎とは、江戸時代後期の浮世絵師。化政文化を代表する一人。代表作に『富嶽三十六景』や『北斎漫画』があり、世界的にも著名な画家である。
第16位 ルノワール
ピエール=オーギュスト・ルノワール (1841年2月25日 – 1919年12月3日)
ピエール=オーギュスト・ルノワールは、フランスの印象派の画家である。後期から作風に変化が現れ始めたので、まれにポスト印象派の画家とされることもある。 風景画、花などの静物画もあるが、代表作の多くは人物画である。
ムーラン・ド・ラ・ギャレット
第15位 ダリ
サルバドール・ダリ(1904年5月11日 – 1989年1月23日)
サルバドール・ダリ、ダリ・デ・プブル侯爵 は、スペイン・フィゲーラス出身の画家。シュルレアリスムの代表的な作家として知られる。
「天才」と自称して憚らず、数々の奇行や逸話が知られている。
ダリはペットとして「Babou」という名前のオセロットを飼っていたことがある。彼は旅に出るときもよくこのオセロットを連れて行った。このオセロットといっしょに撮ったポートレイトが何枚か残っている。
「記憶の固執」
ダリの初期作品であり最も有名な作品。「記憶の固執」は1931年にサルバドール・ダリによって制作された油彩作品です。
ダリ初期の作品であり、ダリの代表作といわれています。
「記憶の固執」は「柔らかい時計」や「溶ける時計」と呼ばれることもあります。
現在はニューヨークにあるニューヨーク近代美術館に収蔵されています。
第14位 マグリット
ルネ・マグリット ( 1898年11月21日 -1967年8月15日)
ポップアートに多大な影響を与えたベルギーのシュールレアリスト。
マグリットの作品においては事物の形象はきわめて明確に表現され、筆触をほとんど残さない古典的ともいえる描法で丁寧な仕上げがほどこされている。しかし、その画面に表現されているのは、空中に浮かぶ岩、鳥の形に切り抜かれた空、指の生えた靴といった不可思議なイメージであり、それらの絵に付けられた不可思議な題名ともども、絵の前に立つ者を戸惑わせ、考え込ませずにはいられない。
マグリットの絵画は、画家自身の言葉によれば、「目に見える思考」であり、世界が本来持っている神秘(不思議)を描かれたイメージとして提示したものである(デペイズマン)。
「言葉とイメージ」の問題を追求したマグリットの作品は、ミシェル・フーコーのような思想家にも発想源を与え、広告やグラフィックアートの分野にもその影響が見られるなど、20世紀の文化に与えた影響は大きい。日本においても1971年の回顧展をはじめとして作品展がこれまでに5回開催され、また、宇都宮美術館、横浜美術館、豊田市美術館などに作品が収蔵されている。
「人の子」1964年
第13位 ミケランジェロ
ミケランジェロ・ブオナローティ(1475年3月6日 – 1564年2月18日)
イタリア盛期ルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人。西洋美術史上のあらゆる分野に、大きな影響を与えた芸術家である。
ミケランジェロ自身が本業と考えていた彫刻分野以外の作品は決して多くはないにもかかわらず、様々な分野で優れた芸術作品を残したその多才さから、レオナルド・ダ・ヴィンチと同じく、ルネサンス期の典型的な「万能人」と呼ばれることもある。
『ピエタ』(1498年 – 1500年)サン・ピエトロ大聖堂
『ダヴィデ像』、1504年アカデミア美術館(フィレンツェ)
第12位 手塚治虫(でづかおさむ)
手塚治虫(1928年11月3日 – 1989年2月9日)
手塚 治虫は、日本の漫画家、アニメーター、アニメーション監督。 大阪帝国大学附属医学専門部を卒業、医師免許取得、のち医学博士。血液型A型。戦後日本においてストーリー漫画の第一人者として、漫画の草分け存在として活躍した。兵庫県宝塚市出身、同市名誉市民。
大阪帝国大学附属医学専門部 在学中の1946年1月1日に4コマ漫画『マアチャンの日記帳』(『少国民新聞』連載)で漫画家としてデビュー。
1947年、酒井七馬原案の描き下ろし単行本『新寶島』がベストセラーとなり、大阪に赤本ブームを引き起こす。1950年より漫画雑誌に登場、『鉄腕アトム』『ジャングル大帝』『リボンの騎士』といったヒット作を次々と手がけた。
1963年、自作をもとに日本初となる30分枠のテレビアニメシリーズ『鉄腕アトム』を制作、現代につながる日本のテレビアニメ制作に多大な影響を及ぼした。
1970年代には『ブラック・ジャック』『三つ目がとおる』『ブッダ』などのヒット作を発表。また晩年にも『陽だまりの樹』『アドルフに告ぐ』など青年漫画においても傑作を生み出す。
デビューから1989年の死去まで第一線で作品を発表し続け、存命中から「マンガの神様」と評された。
藤子不二雄(藤子・F・不二雄、藤子不二雄A)、石ノ森章太郎、赤塚不二夫、横山光輝、水野英子、矢代まさこ、萩尾望都などをはじめ数多くの人間が彼に影響を受け、接触し漫画家を志した。ルネサンス期の彫刻家、画家、建築家、詩人。西洋美術史上のあらゆる分野に、大きな影響を与えた芸術家である。
第11位 ゴッホ
フィンセント・ファン・ゴッホ (1853年3月30日 – 1890年7月29日)
フィンセント・ウィレム・ファン・ゴッホは、オランダのポスト印象派の画家。 主要作品の多くは1886年以降のフランス居住時代、特にアルル時代とサン=レミでの療養時代に制作された。感情の率直な表現、大胆な色使いで知られ、ポスト印象派を代表する画家である。
「ひまわり」1888年8月、アルル。
「星月夜」1889年6月、サン=レミ。
第10位 アンディー・ウォーホル
アンディー・ウォーホル(1928年8月6日 – 1987年2月22日)
アンディ・ウォーホルはアメリカの画家・版画家・芸術家でポップアートの旗手。銀髪のカツラをトレードマークとし、ロックバンドのプロデュースや映画制作なども手掛けたマルチ・アーティスト。本名はアンドリュー・ウォーホラ。
派手な色彩で同じ図版を大量に生産できるシルクスクリーンの技法を用い、スターのイメージや商品、ドル記号など、アメリカ社会に流布する軽薄なシンボルを作品化した。
古典芸術やモダニズムなどとは異なり、その絵柄は豊かなアメリカ社会を体現する明快なポップアート、商業絵画としても人気を博した。
しかし、そこにはアメリカの資本主義や大衆文化のもつ大量消費、非人間性、陳腐さ、空虚さが表現されていると見ることもできる。
第9位 草間彌生(くさまやよい)
草間彌生(1929年3月22日 – )
日本の芸術家。長野県松本市生まれ。
幼い頃から悩まされていた幻覚や幻聴から逃れるために、それらの幻覚・幻聴を絵にし始めた。
1957年(昭和32年)に渡米すると絵画や立体作品の制作だけではなくハプニングと称される過激なパフォーマンスを実行し、1960年代には「前衛の女王」の異名をとった。
草間彌生のいくつかの作品は、水玉模様などの同一のモチーフの反復によって絵画の画面や彫刻の表面を覆うことが特徴の一つである。合わせ鏡を用いて光やオブジェを無限に広がるように見せるインスタレーションや、男根状のオブジェを日用品などに張り付ける立体作品も制作している。カボチャをモチーフにした作品は有名で瀬戸内芸術祭のきっかけになった直島では人がはいれるほどの大きなかぼちゃのオブジェの展示がある。
また、ファッションデザインや小説執筆などの活動も行っている。
第8位 レオナルド・ダ・ヴィンチ
レオナルド・ダ・ヴィンチ
(1452年4月15日 – 1519年5月2日)
レオナルド・ダ・ヴィンチは、イタリアのルネサンス期を代表する芸術家。
「飽くなき探究心」と「尽きることのない独創性」を兼ね備えた人物といわれている。
史上最高の呼び声高い画家の一人であるとともに、人類史上もっとも多才の呼び声も高い人物である。
レオナルドは多才な人物だったが、存命中から現在にいたるまで、画家としての名声がもっとも高い。
肖像画『モナ・リザ』、宗教画『最後の晩餐』など現存するレオナルドの絵画作品は15点程度と言われており決して多くはない。
レオナルドは科学的創造力の面でも畏敬されている。ヘリコプターや戦車の概念化、太陽エネルギーや計算機の理論、二重船殻構造(en:double hull)の研究、さらには初歩のプレートテクトニクス理論も理解していた。
科学、解剖学、工学など多彩な分野で才能を発揮した。
肖像画『モナ・リザ』
宗教画『最後の晩餐』など
ちなみに、日本にもダビンチがいた。日本の発明王、六車義方さん。
第7位 アルフォンス・ミュシャ
アルフォンス・ミュシャ
(1860年7月24日 – 1939年7月14日)
アルフォンス・マリア・ミュシャ、1860年7月24日 – 1939年7月14日)は、アール・ヌーヴォーを代表するグラフィックデザイナー。
「ミュシャ」という表記はフランス語の発音によるものであり、チェコ語の発音を日本語表記すると「ムハ」または「ムッハ」となる
多くのポスター、装飾パネル、カレンダー等を制作した。ミュシャの作品は星、宝石、花などの様々な概念を女性の姿を用いて表現するスタイルと、華麗な曲線を多用したデザインが特徴である。
イラストレーションとデザインの代表作として『ジスモンダ』『黄道12宮』『4芸術』などが、絵画の代表作として20枚から成る連作『スラヴ叙事詩』が挙げられる。
ポスター ジスモンダ『ジスモンダ』
装飾パネル連作『四季』
第6位 フェルメール
ヨハネス・フェルメール
(1632年10月31日? – 1675年12月15日)
ヨハネス・フェルメールは、ネーデルラント連邦共和国(オランダ)の画家で、バロック期を代表する画家の1人である。
写実的な手法と綿密な空間構成そして光による巧みな質感表現を特徴とする。フェルメールの通称で広く知られる。
本名ヤン・ファン・デル・メール・ファン・デルフト。
生涯のほとんどを故郷デルフトで過ごした。最も初期の作品の一つ『マリアとマルタの家のキリスト』(1654年-55年頃)に見られるように、彼は初め物語画家として出発したが、
やがて1656年の年記のある『取り持ち女』の頃から風俗画家へと転向していく。
現存する作品点数は、研究者によって異同はあるものの、33 – 36点と少ない。
このほか記録にのみ残っている作品が少なくとも10点はある。
『真珠の耳飾の少女』
ヨハネス・フェルメールと贋作
フェルメールの贋作はハン・ファン・メーヘレンにより多数の作られた。
その中には『エマオのキリスト』も含まれているというのである。
『エマオのキリスト』は、1938年にロッテルダムのボイマンス美術館が購入したものであり、購入額の54万ギルダーはオランダ絵画としては過去最高額であった。
『エマオのキリスト』は、現在でもボイマンス美術館の一画に展示されている。
ハン・ファン・メーヘレンも天才的贋作者としてと言われる作品の出来はさすがのようだ。
第5位 細田守(ほそだまもる)
細田守
(1967年9月19日 – )
細田 守(ほそだ まもる)は、富山県中新川郡上市町出身のアニメ監督、アニメーター。
監督
『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム!』
『時をかける少女』
『サマーウォーズ』
『おおかみこどもの雨と雪』
第4位 伊藤若冲
伊藤若冲 いとうじゃくちゅう
(正徳6年2月8日(1716年3月1日) – 寛政12年9月10日(1800年10月27日)
伊藤 若冲(いとう じゃくちゅう)は、近世日本の画家の一人。
江戸時代中期の京にて活躍した絵師。名は汝鈞(じょきん)、字は景和(けいわ)。
初めは春教(しゅんきょう)と号したという記事があるが、その使用例は見出されていない。
斗米庵(とべいあん)、米斗翁(べいとおう)、心遠館(しんえんかん)、錦街居士とも号す。
正徳6年(1716年)、京・錦小路にあった青物問屋「枡屋」(家名と併せて通称「枡源(ますげん)」)の長男として生を受ける。
問屋の仕事は小売ではなく、生産者や仲買・小売の商人に場所を提供して販売させ、彼らの関係を調整しつつ売場の使用料を徴収する流通業者である。
桝屋は多数の商人を管轄していたらしく、商人たちから場所代を取れば十分な利益を上げることが出来たという。
23歳のとき、父・源左衛門の死去に伴い、4代目枡屋(伊藤)源左衛門を襲名する。「若冲」の号は、禅の師であった相国寺の禅僧・大典顕常あるいは月海元照(売茶翁)から与えられたと推定される居士号であり、『老子』45章の「大盈若沖(冲は沖の俗字)」から採られた。意味は「大いに充実しているものは、空っぽのようにみえる」である。
大典の書き遺した記録「藤景和画記」(『小雲棲稿』巻八)によると、若冲という人物は絵を描くこと以外、世間の雑事には全く興味を示さなかったという。商売には熱心でなく、芸事もせず、酒も嗜まず、生涯、妻も娶らなかった。商人時代、若冲は家業を放棄して2年間丹波の山奥に隠棲してしまい、その間、山師が枡源の資産を狙って暗躍し、青物売り3千人が迷惑したという逸話が残る。ただし、この逸話は後述する錦市場に起こった事件と共通する記述が多いことから、事件を元に後世に作り変えられた話だと考えられる。
第3位 ピカソ
パブロ・ピカソ( 1881年10月25日 – 1973年4月8日)
パブロ・ピカソは、スペインのマラガに生まれ、フランスで制作活動をした画家、素描家、彫刻家。 ジョルジュ・ブラックとともに、キュビスムの創始者として知られる。近代絵画を語る上ではずせない画家の1人です。
生涯におよそ1万3500点の油絵と素描、10万点の版画、3万4000点の挿絵、300点の彫刻と陶器を制作し、最も多作な美術家であると『ギネスブック』に記されている。
ピカソは作風がめまぐるしく変化した画家として有名であり、それぞれの時期が「◯◯の時代」と呼ばれている。以下がよく知られている。
青の時代(1901年~1904年)
20才頃、親友のカサヘマスが自殺し、衝撃を受ける。ピカソは当時の鬱屈した心象を、無機顔料のプロシア青の暗青色を基調に使い、娼婦、乞食、盲人など不幸な人々を主に題材にした一連の陰鬱な作品群に表現した。以後「青の時代」は、孤独で不安な青春時代を表す表現として使われるようになった。
ばら色の時代(1904年~1907年)
フェルナンド・オリヴィエという恋人を得て、明るい色調でサーカスの芸人、家族、兄弟、少女、少年などを描いた。
アフリカ彫刻の時代(1907年~1908年)
アフリカ彫刻の影響を強く受けた時代。このとき、キュビスムの端緒となる『アビニヨンの娘たち』が生まれた。
セザンヌ的キュビスムの時代(1909年)
スペインのオルタ・デ・エブロに旅し、セザンヌ的な風景画を描いた。
分析的キュビスムの時代(1909年~1912年)
モチーフを徹底的に分解する、禁欲的で抽象的な作風になった。
総合的キュビスムの時代(1912年~1918年)
装飾性と色彩の豊かさが特徴で、ロココ的キュビスムとも呼ばれる。このころ、新聞紙や壁紙をキャンバスに直接貼り付けるコラージュ技法を発明したが、これはマルセル・デュシャンのレディ・メイドの先駆である。
新古典主義の時代(1918年~1925年)
古典的で量感のある母子像を描いた。
シュルレアリスム(超現実主義)の時代(1925年~1936年)
化け物のようなイメージが描かれた時期で、妻オルガとの不和が反映していると言われる。代表作は『ダンス』『磔刑』など。
ゲルニカの時代(1937年)
コンドル軍団のゲルニカ爆撃を非難した大作『ゲルニカ』および、そのための習作(『泣く女』など)を描いた。
晩年の時代(1968年~1973年)
油彩・水彩・クレヨンなど多様な画材でカラフルかつ激しい絵を描いた。このころ、自画像も多く手がけている。
第2位 モネ
クロード・モネ(1840年11月14日 – 1926年12月5日)
クロード・モネは、印象派を代表するフランスの画家。「光の画家」の別称があり、時間や季節とともに移りゆく光と色彩の変化を生涯にわたり追求した画家であった。モネは印象派グループの画家のなかでは最も長生きし、20世紀に入っても『睡蓮』の連作をはじめ多数の作品を残している。
ルノワール、セザンヌ、ゴーギャンらはやがて印象派の技法を離れて独自の道を進み、マネ、ドガらはもともと印象派とは気質の違う画家だったが、モネは終生印象主義の技法を追求し続けた、もっとも典型的な印象派の画家であった。
「光の画家」と呼ばれたモネは、同じモチーフを異なった時間、異なった光線の下で描いた連作を数多く制作したが、もっとも作品数が多く、モネの代名詞ともなっているのが1890年代終わりから描きはじめた『睡蓮』の連作である。『睡蓮』はジヴェルニーの自宅の庭にある睡蓮の池をモチーフに、1899年から1926年に亡くなるまでの間に全部で200点以上制作されている。
第1位 宮崎駿(みやざきはやお)
宮崎 駿 (1941年1月5日 – )
宮﨑 駿は、日本の映画監督、アニメーター、漫画家。別名として秋津 三朗、照樹 務がある。映画などのクレジットタイトルでは宮崎 駿と表記されることもある。 株式会社スタジオジブリ取締役、公益財団法人徳間記念アニメーション文化財団理事長、三鷹市立アニメーション美術館館主、辺野古基金共同代表。
2001年に発表した『千と千尋の神隠し』は興行記録を塗り替え、観客動員2350万人、興行収入308億円と、日本における映画史上第1位の新記録を作った。
日本国外からの評価も非常に高く、翌年のベルリン国際映画祭では日本としては39年ぶり、アニメーションとしては史上初の金熊賞を受賞し、2003年にはアカデミー賞長編アニメ賞を受賞した。
宮崎 駿さんの主な作品
アニメーション映画
『パンダコパンダ』(原案・脚本)
『ルパン三世 カリオストロの城』(脚本・監督)
『風の谷のナウシカ』(原作・脚本・監督)
『天空の城ラピュタ』(原作・脚本・監督)
『となりのトトロ』(原作・脚本・監督)
『魔女の宅急便』(脚本・プロデュース・監督)
『紅の豚』(原作・脚本・監督)
『もののけ姫』(原作・脚本・監督)
『千と千尋の神隠し』(原作・脚本・監督)
『ハウルの動く城』(脚本・監督)
『崖の上のポニョ』(原作・脚本・監督)
『風立ちぬ』(原作・脚本・監督)
実写映画
『柳川堀割物語』(製作)
テレビアニメ
『未来少年コナン』(演出)
漫画
『風の谷のナウシカ』(作)
『宮崎駿の雑想ノート』(作)
『風立ちぬ』(作)
絵物語
『シュナの旅』(作)
『もののけ姫』(作)
小説
『天空の城ラピュタ』(原作・絵)
音楽
『君をのせて』(作詞)
『となりのトトロ』(作詞)
『もののけ姫』(作詞)
『崖の上のポニョ』(補作詞)