~山梨県身延町(みのぶちょう)~
野菜作りに魅せられた得さんの山里暮らし
東京と身延町の二地域居住を楽しむ、得さんの山里暮らしを紹介します。
山梨県身延町(みのぶちょう)で、定年後、東京と身延町の二地域居住を選択し、身延の自然の中で農業を楽しむ得平得(えひらとく)さん(64歳)と、夫の田舎暮らしを見守る妻・紀子(のりこ)さん(64歳)が今回の主人公です。
Contents
二地域居住を始めた得さんのプロフィール
大阪で生まれ育った得さんは、高校を卒業後、東京の電機メーカーに就職。24歳の時、同僚だった紀子さんと結婚し、2人の女の子。
転機は51歳の時、妻の紀子さんから「町内の畑の会」への参加を勧められた事がきっかけ。
初めて参加した畑の会で、すっかり野菜作りに魅せられた。
そして、東京の自宅から通いやすい身延町の空き家を購入。
2013年、定年退職を迎え、得さんは東京と身延町の二地域居住をスタート。
購入した家は築150年のかぶと造りの古民家を『セカンドハウス』として利用している
畑はおよそ300坪。ミカン、キウイ、プルーン、大根、サツマイモなど20種類以上の果物や野菜を栽培。
今では身延町を第二の故郷とまで思っている。
妻の紀子さんは、休みの日に身延町へ高速バスでやってくるそうです。
身延町一色(みのぶちょういっしき)の場所
得さんが暮らしている身延町一色(いっしき)・和平(わだいら)地区は、世帯数わずか4軒の集落。
自然に囲まれ、ホタルの名所として知られる身延町一色地区。
身延町一色の地図 googleMAPより
身延町が主催の空き家ツアーとは?
いろんな地域で人を身延町が主催する「空き家ツアー」が開催され、得平さんも参加。一色地区の古民家を案内されました。「民家の売り主さんが隣接する土地を貸してくれるということだったので、さっそく買いたいと手を挙げたんです」。そして念願の二居住生活がスタートしたそうです。
空き家バンクとは
「空き家バンク」は、町内の空き家の有効活用を通して、地域の活性化を図ることを目的とした制度で、所有者から登録していただいた町内の賃貸・売却できる物件を、利用を希望する方々に情報提供することです。
身延町だけでなくいろいろな都道府県でも空き家バンクはやっています。
「身延町空家バンク」より
身延町一色の観光「身延山久遠寺」
鎌倉時代、疫病や天災が相次ぐ末法の世、「法華経」をもってすべての人々を救おうとした日蓮聖人は、三度にわたり幕府に諫言(かんげん)を行いましたが、いずれも受け入れられることはありませんでした。
当時、身延山は甲斐の国波木井(はきい)郷を治める地頭の南部実長(さねなが)の領地でした。日蓮聖人は信者であった実長の招きにより、1274(文永11)年5月17日、身延山に入山し、同年6月17日より鷹取山(たかとりやま)のふもとの西谷に構えた草庵を住処としました。
このことにより、1274年5月17日を日蓮聖人身延入山の日、同年6月17日を身延山開闢(かいびゃく)の日としています。日蓮聖人は、これ以来足かけ9年の永きにわたり法華経の読誦(どくじゅ)と門弟たちの教導に終始し、1281(弘安4)年11月24日には旧庵を廃して本格的な堂宇を建築し、自ら「身延山妙法華院久遠寺」と命名されました。
垂れ桜の観光名所でもある身延山久遠寺
身延町は四季が見せる自然の美しさが魅力です。春に訪れる際は、身延山久遠寺のしだれ桜を見に行くのがオススメです。
身延町からの景色が千円札の富士山に
現在の千円札と、旧五千円札の裏面には、身延町の本栖湖畔から望む富士山の姿が描かれています。
これは、ともに富士山写真家の故・岡田紅陽氏(1895年-1972年)が撮影した写真「湖畔の春」をモデルにデザインされたもの。
本栖湖の湖面に映る美しい「逆さ富士」は、めったに見ることができないとても貴重な光景なのです。