MATOMANY

安田順平さんの解放後の記者会見で話されたこと

シリアで拘束されたていた安田順平さんの解放後の記者会見。

説明するのが私の責任と思って会見をおこなった。

まずはお詫びと感謝を冒頭に述べられました。

取材の目的

イスラム国についての戦闘員リスト、給与、予算などのリストの情報を手にいれさらに取材をしたいと思っていた。

シリア人のガイド、後藤健司さんのガイドをしていた人。後藤健司さんの解放を訴えていた人。
なので信用した。
紹介してもらった案内ガイドはシリアの組織アハラシャムの人物

拘束の経緯・生活

2015年5月
 イスラム国が注目、イスラム国に対抗しいがみ合っていた。
 シリア北部イドリブ市
 

イドリブは、アル=ヌスラ戦線のほか、アハラール・アルシャーム(Ahrar al-Sham)を中心とした反体制側組織が支配している場所。

2015年6月22日
 シリアに入るアンマニオス?の人物>カルビアスの町なのですが、そこに向かいました。
 シルアのガイドの兄が司令官が身元保証人をする。
 そこの向かいにきているガイドの従妹の車でシリアにいる。
 シリアへは深夜に闇にまみれてトルコからシリアに入る予定だった。 
 ガイドは2往復していた。 
 ガイドと別の方向から家族が連れがあらわれていっしょについていってしました。
 目隠はなしで移動していた。
 ヌスラ戦線のバーナーが見えた。 

2015年6月23日、24日
 パン工場の事務所?
 近くの民家に異動。荷物はここで奪われ監禁。

26日
 別の場所に移動、集合住宅の地下室に入れられ監禁が始まる。
 5人

2015年7月
 民家に監禁されていた。
 身代金要求するといわれこの時点で人質であるといわれた。
 日本政府に身代金を要求するので個人情報を書かされた。
 組織名は一切言わない。最後まで組織名は明かされなかった。
 扱いはゲスト扱いされていた。
 窓は観音開きの窓で片方の窓が開けられていた。

2015年12月
 日本からの連絡が取れなくなる。
2015年12月31日
 妻への連絡をしろと言われる。
2016年1月
 妻との秘密のメッセージ。

2016年5月23日
 オレンジの服を着てメッセージ
 お願いします。助けて。のビデオ撮影

29日
 ビデオ投稿。

7月10日
 車で移動して別の場所に
 テレビもあり、メモ日記を書くこともできた。

7月中旬
 空爆の音がした
 他にも誘拐された人、兵士なども収容されてた。
 兵士などは拷問されていた。

8月
 身動きできない状態。
 動くことができないのは苦痛
 20日食事をしない
 運動するため改宗する。

2017年3月
 解放するから食事をとれ

2017年4月
 日本に送るから家族との思いでを書かされる
 ウイグル人?
 山があり3本の搭が見える遺跡がみえた
 半年いた。

2017年4月
 動画を撮影。
 韓国人と言っていた。私の名前はウマルです。
 イタリア人もいた。
 普通のバージョン、泣いているバージョン

2017年9月 前の施設に移動。
 身動きしてはいけない。
 扇風機が回っていた。

2017年10月 モハンマドの言葉を使ってハマルの話をして
 トイレに行かせない。水を飲ませない。
 返すか殺すかしてくれと訴えた。
 扇風機の出力も看守側で制御できる。

2017年10月22日 明日解放と言われる。
 トルコ人。
 目隠しをしていた。


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トルコの入館施設での解放。

Q.自己責任でのバッシングをどう思うか?
A.ご迷惑をかけたと思っている。
批判は当然だと思っている。
事実とコツなる情報も多かったのも事実
外務省にはやるべきことをやっていただいたと思っている

Q.今後も取材は続けるか?
A.今の上場ではわからない

Q.最初から人質としてだまされていたのではないか?
A.現地ガイドとは別の方向にいってしました。
私自身のミスからだ。

Q.相手方の組織の詳細はについて
A.人数は5人程度、
大きな施設は靴の音から3階たて、囚人は100人以上いるような感じ
年代は10代から年配までいた。
松平健似の人がいた。
ヌスラとは名言いなかった。

Q.シリアの民主化運動を見聞きしたか?
A.


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まとめ

山、遺跡
拘束され解放までの3年間の内容を日記をつけていたと言うのはさすがジャーナリストだなぁと感じました。
もっと会見では話されていなかった内容も聞きたいと感じました。
拘束した組織は?解放を行ったトルコ側の機関とは?
どんな組織だったのでしょうね


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