テレビ 気になる人

歴史学者・磯田道史(いそだみちふみ)が選ぶ「大河ドラマにしたい偉人」とは?

2017/03/14

12月13日放送の「林修の今でしょ!講座 2時間スペシャル」に歴史学者・磯田道史(いそだ みちふみ)さんが登場します。

大河ドラマにしたい偉人

磯田道史が教える『なぜこの偉人を大河ドラマの主人公にしないんだ講座』

数々の江戸時代の著作が映画化されるほど人気の磯田先生が、あまり有名ではないが大河ドラマの主人公に推したい偉人をプレゼンする新企画!
今年は真田幸村、来年は西郷隆盛が主人公の大河ドラマだが、果たして磯田先生が推したい偉人とは?

教科書には載っていない魅力やエピソードを熱く語ります!


SPONSORED LINK

歴史学者・磯田道史が大河ドラマの主人公にしたい偉人①

磯田道史が推す!明治維新の立役者とは誰?

板垣退助

板垣退助(いたがきたいすけ)1837~1919年

 

磯田道史氏が大河ドラマの主人公にしたい偉人の一人目は、板垣退助です。

一般的には、土佐藩出身の政治家で自由民権運動を指導し、お札にもなった偉人として知られています。

磯田道史が大河ドラマにしたい偉人①

 

磯田道史氏が大河ドラマの主人公に推す理由は?

板垣退助は明治の偉人の中で最も波乱万丈!な人生を送られたそうです。
歴史学者、磯田道史氏が惚れ込んだ板垣退助は、どんな人だったのでしょう?

  • 第二次世界大戦後の日本における、言論の自由や議会政治の種をまいた人物。
  • 「お上の命令は絶対!」だった世の中から「自由に生きる&大切なことはみんなで決める」という今の世の中を、作り上げた人物。

一般的に幕末&明治で印象に残っている偉人についてアンケート結果があるようです。板垣退助の人気は?

 

幕末&明治でスゴイと思う偉人の100人アンケートの結果は?

幕末&明治でスゴイと思う偉人とは?

1位 坂本龍馬 49人
2位 西郷隆盛 13人
3位 伊藤博文 5人

板垣退助は2人だったようです。

坂本龍馬をはじめ、明治維新の功労者は数多くいますが、磯田道史さんに言わせると、板垣退助こそ知っておくべき偉人!だそうです。

 

歴史好きじゃなくても面白い!板垣退助の波乱万丈の人生とは?

板垣退助の生涯

 

戊辰戦争の激戦

土佐藩の武士の子として生まれた板垣退助は、激動の幕末(大政奉還がなされた翌年)に戊辰戦争で活躍します。

徳川幕府 vs 新政府軍の戊辰戦争で、最も激戦とされた白虎隊で有名な会津若松城での戦い、この戦いの指揮をとったのが板垣退助でした。そして会津若松城を苦しみながらも攻め落とします。

 

教科書には書かれない戊辰戦争の真実とは?

 

この激しい戦いのさなか、板垣退助はあることに気づきます。

戊辰戦争で農民は、武士の命令により戦に参加しただけで、農民たちは戦争に無関心だったのです。

豊かで強い国家を作るには、国民が身分で分断されるのはよくないと考えるようになります。

そして板垣退助は、戊辰戦争の活躍で明治政府の要職に付くことになります。

 

教科書にはのっていない板垣を変えた明治維新後の大事件

1867年、明治維新を成し遂げた伊藤博文や大久保利通など明治維新の志士たちは政府の役人になり変わっていきます。

昔は貧乏で貧しくて、理想に燃えていた人たちが、爵位を求めるようになります。

政府の要職に就いた維新の同志たちは、地位を利用し贅沢三昧をするように・・。

「理想に燃えていたあの戦いはなんだったのか・・」

これじゃダメだ!板垣退助は驚きの行動を取ります!

 

磯田先生によると、明治時代の参議の月給は1500万円、年収は1億8000万だったそうです。

鹿鳴館を作り、皆で西洋風の服を着て、貴族となった同士たち。

公爵や伯爵の制度は未来永劫、孫でもひ孫でも世襲議席が出来るというとんでもない制度でした。

 

そこで板垣退助は、華族の地位は一代で返上するという一代華族論を提唱しました。

当時貴族になった850人に対し、板垣退助がアンケート調査を実施したところ、回答者は37人で一代華族論に賛同した人は12人だけだったそうです。

正論を唱える板垣退助を、ほとんどの貴族が無視する結果となります。

維新の理想は、「江戸時代は所属や身分でその人の処遇が決まったけれど、これからは、身分に関係なく、勉強して知識、知恵、才能など本人次第で未来が開ける世の中にしよう」ということでしたが、権力を手にした同士たちは、身分や所属を主張するようになったそうです。

こういうところも、大河ドラマにしたいポイントだそうです。

 

岐阜遭難事件

板垣退助は、自由を広めるために学校を作ります。国民の自由と平等を広めるため、板垣退助は立志社を設立し、屋敷などを売り私財を投じて民衆に選挙権を与えるべく活動します。

そんな中、板垣退助は46歳の時に、暴漢に刃物で刺されます。

そしてあの有名な「板垣退助死すとも自由は死せず」と言ったとされています。

暴漢は、愛知県の小学校教員だったそうです。

(天皇に対する不忠だと、思われたことが理由だったそうです)

短刀で7箇所を刺され、生死をさまよいますが、なんとか一命を取り留めます。

この時代の政治運動は、命がけだったようです。

 

欧州視察での裏切り

民衆から人気を得始めていた板垣退助。

その人気をやっかんだ伊藤博文らは欧州視察を持ちかけ、「遊びに行った」という噂を広め、板垣退助を失脚させたそうです。

そして板垣退助が党首を務めていた自由党も解散に追い込まれます。

 

磯田先生によりますと、当時ヨーロッパ視察は政治家にとってのステータスだったそうです。

勉強の為に、ヨーロッパ視察へ行った板垣退助でしたが、「政府からお金をもらって豪遊」と新聞などで避難されます。

これは伊藤博文らが、仕組んだ罠だと言われています。

この旅行で、板垣退助はルイ・ヴィトンのトランクを購入したそうです。(板垣退助は日本における最古のルイ・ヴィトンの所有者)

板垣退助(ルイ・ヴィトン)

 

 

伊藤博文の罠により、失脚してしまった板垣退助。するとここぞとばかりに、伊藤博文は抱き込みにかかります。

板垣退助は「天皇の命令だ」と伊藤博文に説き伏せられ、やむなく貴族となります。

しかし板垣退助は子どもたちに「爵位を継ぐな」と厳しく教え、子どもたちもその教えを受け継いで爵位を継がなかったそうです。

 

板垣退助が83歳で死去した際、葬儀には多くの民衆が集まり悲しんだとされています。

 

一代華族論が正しかったことを歴史が証明

板垣退助が唱えた一代華族論が正しかったことを、歴史が証明しているそうです。

板垣退助が亡くなる前に日露戦争(1904~1905年)が起きますが、その時に100人の貴族(華族)が誕生したそうです。

このことから戦争をやって功績を挙げれば貴族(華族)になれるという世相が広がったそうです。

 

昭和の戦争へ向かって行く時に「活躍すれば貴族になれるかもしれない」というのがチラついていたのは事実だそうです。

戦功があった人の子供がやっていた議会は、戦争を抑えられるはずがありません。

華族が世襲制であったことが、日本を第2次世界大戦へ向かわせてしまった・・といっても過言でないのかもしれませんね。

磯田先生は「人間が尊敬されるのは、何を与えたか。それは板垣退助の生涯を見ればわかる。」と締めくくられていました。

 

板垣退助の大河ドラマ、見たくなりましたよね!

 

磯田先生が考える板垣退助役の俳優は誰?

磯田先生が考える板垣退助役は、阿部寛(あべひろし)さんだそうです。

うんうん、しっくりきますね!阿部寛さんの熱い演技が見たいですね!

 

ちなみに板垣退助には、4人の正妻がいたそうです。

(当時としては珍しくなかったそうです)

 

林先生を大河に出すならどんな役?

 

そして林先生を大河ドラマに出すなら、すでに配役を決めているそうです。

顔が大隈重信にそっくりということで、大隈重信(おおくましげのぶ)だそうです。

ちなみに林先生は、大隈重信のことはあんまり好きじゃないそうですw

 

 

江戸時代に約2000人いた殿様の中で一人だけ偉い人を選ぶなら誰?

磯田道史先生が、江戸時代に約2000人いた殿様の中で一人だけ偉い人を選ぶなら、上杉鷹山(うえすぎ ようざん)を選ぶそうです。

上杉鷹山は一体どんな偉人なんでしょう?

知らない方も多いと思いますが、日本人なら絶対知っておくべき人物だそうです。

特に家計を立て直したい主婦は必見!だそうですよ。

 

元アメリカ大統領も尊敬する殿様

元アメリカ大統領とはジョン・F・ケネディ

ケネディ大統領にも尊敬された上杉鷹山の政治手腕とは?

 

上杉鷹山(うえすぎようざん)の名言とは?

上杉鷹山が言ったとされる有名な言葉とは?

成せばなる 成さねばならぬ 何事も 成らぬは人の 成さぬ成けり

 

上杉鷹山の功績とは?ココを大河にしたい!

 

上杉鷹山の生涯

上杉鷹山(うえすぎようざん)の生涯

 

上杉鷹山は、10歳で米沢藩の養子になります。

32歳の時に、天明の大飢饉が起こります。慢性的な財政難で飢えに苦しむ米沢藩でしたが、そんなことはお構いなしに重役は贅沢三昧、借金は膨大な額に膨れ上がっていきます。

当時の米沢藩の借金は16万両(現在の価値で数百億円)

 

 

上杉鷹山はプライドの高い藩の重役たちにある方法で質素な生活をさせたそうです。

 

その方法は、藩主(殿様)である上杉鷹山自身が生活レベルを落とし、とんでもない貧乏生活を始めたというから驚きですね。

 

食事は一汁一菜(切り干し大根など)。衣類は木綿着物。

 

殿様がこんなことを始めてしまったら、部下が贅沢をするわけには行きませんよね。

 

この倹約をきっかけに、身分の高い武士やその家族たちにプライドを捨てさせて、町人と同じことをやらせることに成功します。

 

①武士や刀を鍬に替えて農業をやらせた

②武士の妻や娘に内職をやらせた

 

優しい鷹山ですが、反発する家臣を処刑するなど、死者を出しながらも、この改革を進めていったそうです。

 

 

大飢饉で庶民が食料に困らないための方法とは?

長引く天明の大飢饉、上杉鷹山は、庶民が食料に困らない方法を考えます。

飢餓から民衆を救うために指南書「かてもの」を発行

鷹山はある奇策を思いつきます。

 

①食べられる植物を徹底的に植えた。

②「かてもの」と呼ばれる食べ物の確保の仕方を書いたガイドブックを発行した。

いろは順に80種類の草木や果実の特徴や調理法が書かれていたそうです。

約1575冊を刊行し、藩内に配ったそうです。

 

つまり鷹山はサバイバルブックを配って、飢饉を迎え撃つ体制を作ったんです。素晴らしい!

 

鷹山のように何らかの対策を考える殿様と、何の対策もぜずに年貢だけを取る殿様とでは、人間の命が左右されたようです。

 

上杉鷹山はどうして人を思いやれる人物だったのでしょう?

実は鷹山には師と仰ぐ天才学者がいたそうなんです!

 

若き日の鷹山 ある学者との出会い

その学者とは、細井平州(ほそいへいしゅう)1728-1801

町中で網笠をかぶり、扇子を持ちながら学問の話をして投げ銭をもらっているような特異な学者でした。

しかし、細井平州が学問の話をすると一般市民にもわかる内容のために、人が集まってきたそうです。

親孝行や人間の生き方などを話すうちに、聴衆は感動し泣き出す人もいたとか。

道徳を伝える学者がいない中、細井平州はそれを教えることが出来ると、米沢藩の家来の一人が気づきます。

後をつけた家来は、汚い長屋で暮らす細井平州を見つけます。そして「もう、うちの藩はダメなんです。次の若様が立派にならないと、この藩は潰れるんです。どうか若様の家庭教師になってください。」と拝み倒します。

そして、細井平州が鷹山の家庭教師になったそうです。

細井平州は、幼い鷹山に、こんな話をしたそうです。

「民は、飢え死にしそうになっても、お父さんお母さんがいるわけでもなく、そのまま放っておけば死にます。赤ちゃんのようなものです。

民が死なないために世話をするのは誰ですか?あなたしかいないんですよ。殿様になるあなたがしっかりしなかったら大量の人が死にますよ。

これを助けるお父さんお母さんになったほうがいいんじゃないですか?」

このような教え方で、上杉鷹山は成長していったんですね。

 

 

歴史学者・磯田道史のプロフィール

磯田 道史(いそだ みちふみ)
生年月日  1970年12月24日
出身地 岡山県岡山市
学歴 慶應義塾大学文学部史学科卒業
職業 日本の歴史学者(日本近世・近代史・日本社会経済史)、国際日本文化研究センター准教授

  • 2003年の著作『武士の家計簿 「加賀藩御算用者」の幕末維新』で第2回新潮ドキュメント賞
  • 2010年には森田芳光監督によって『武士の家計簿』として映画化された。
  • 2010年、「専門分野である歴史を視聴者にわかりやすく解説し、放送文化の向上と地域活性化に貢献した」として第15回NHK地域放送文化賞。
  • 2015年、『天災から日本史を読みなおす』で第63回日本エッセイスト・クラブ賞を受賞する。

 

この記事もよく読まれています

スポンサーリンク300

SPONSORED LINK


-テレビ, 気になる人