訃報

【島木譲二】死因や病名は?告別式やパチパチパンチお別れの会はいつ

2017/01/09

島木譲二

「大阪名物パチパチパンチ」などのギャグで知られる吉本新喜劇の役者、島木譲二(本名=濱伸二、はましんじ)さんが16日午前9時6分、脳溢血のため入院先の大阪市内の病院で亡くなった。70歳だった。同日、所属事務所が発表した。

島木さんは兵庫県出身の元プロボクサーで、現役時代には「西日本ミドル級新人王」を獲得したこともある。1980年にNSCに入社。同年11月に吉本新喜劇で初舞台を踏み、“コワモテ”のルックスから繰り出される「大阪名物パチパチパンチ」や「ポコポコヘッド」などのかわいらしいギャグで人気を博した。

島木譲二さんの死因は?

脳溢血(のういっけつ)だったそうです。

脳出血ともいう。壊死(えし)した脳小動脈壁が高血圧などの影響で破綻(はたん)を生じ出血すること。
50歳以上の男性に多く,原因の大部分は動脈硬化症と高血圧症。発作時は意識消失,嘔吐(おうと),顔面紅潮,脳圧亢進による徐脈などを呈し,呼吸は深く,四肢は運動不能で,大小便の失禁などを起こす。

島木譲二さんが死去した病院は?

島木さんは体調不良のため2011年1月から、大阪市内の病院に通院し治療を受けており、同年2月には早期の回復を目指すため、自宅で療養に専念することを発表。所属事務所によると「本日、体調が悪化し、最期は病院で奥さまに看取られました」とコメントしている。

大阪市内の病院だそうです。国立大阪病院でしょうか?
詳しくは公表されていないようです。

島木譲二さんのパチパチパンチyoutube動画

“パチパチパンチ”を披露した島木譲二さん

島木譲二(しまきじょうじ)さんの最後の舞台は?

2010年12月26日のNGKでの吉本新喜劇出演が最後の舞台となったそうです。

 

島木譲二(しまきじょうじ)プロフィール

本名 濱 伸二(はま しんじ)
生年月日 1946年9月13日
没年月日 2016年12月16日(満70歳没)
出生地 兵庫県尼崎市
死没地 大阪府大阪市
学歴 私立興國商業高等学校(現・興國高等学校)卒業
血液型 AB型
職業 お笑い芸人・俳優
ジャンル 舞台(吉本新喜劇)
身長173cm・体重98kg

  • 元大阪新和所属プロボクサーであり、西日本ミドル級新人王を獲得したこともあるほどの強豪ボクサーであった。
  • 西日本ボクシング協会会長も務めたアポロ嘉男とは現役時代から交流があり、アポロが経営するアポロボクシングジムのアドバイザーにも就任している。
  • 芸人になる前はMBS千里丘放送センター(大阪府吹田市、2007年閉鎖)の警備員(守衛)でもあった。その時に、知己を得た間寛平の紹介で吉本新喜劇に入団する。
  • 末成由美と同じく殺陣師・的場達雄門下生でもある吉本新喜劇のメンバーの一人。
  • 持ちネタがかなり多いが、特別面白いというわけではなく、むしろ拍手が来るまでパチパチパンチを続けたり、「どうや!どうや!」と客を煽ったりして無理矢理笑わせている。
  • 内場勝則などに「無理矢理盛り上げるのやめてください」「拍手要求すんのやめてください」などとツッコまれることもしばしば。この芸風の後継に、なかやまきんに君がいる。
  • 2008年ごろに後輩のたむらけんじに対抗する形で焼肉屋をオープンし、チェーン展開していたが、現在は閉店。
  • 2011年に入り体調不良を訴えたため、大阪市内の病院に通院治療を受けていた。早期回復のため、舞台などの芸能活動を休止し、自宅治療に専念していた。
  • 2016年12月16日、脳溢血のため、入院先の大阪市内の病院で死去。

島木譲二、松田優作の遺作「ブラック・レイン」にも出演

劇場映画作品としては松田優作の遺作である『ブラック・レイン』(Black Rain)は、1989年公開のアメリカ映画である。
大阪の街を舞台に日米の刑事たちが協力してヤクザと戦う物語を描き、豪華な日本人キャストでも話題になりました。

島木譲二さんは、若山富三郎さん演じるヤクザの親分の子分役として出演されていました。

島木流血事件など体を張った芸人でした

今から12年前、2004年12月15日に収録された正月特番で、舞台中に出演者から唆され、頭に水晶玉を乗せて鏡餅をやろうとして頭上約1メートルの高さまで投げ上げたところ落ちてきた水晶玉が脳天を直撃、頭頂部から流血するという事件があったそうです。

舞台が騒然となり、共演の石田靖があわてて島木の頭をタオルで拭い、以降はそのまま頭に(頬かむりのような形で)タオルを巻いた姿で収録続行した。
当然の如く、オンエアでは流血のシーンは全てカットされたが、2009年4月11日放送の新喜劇50周年スペシャルにて、カットされた流血シーンが、初めてテレビで全て公開された。

放り投げた水晶玉は頭上1m以上もの高さから落下してきて、そのまま頭を直撃していた。その番組中の島木本人の話によれば、「横に落とすつもりが、見失ってしまった。首が3センチほど入った」らしい。水晶玉が頭を直撃した瞬間、一瞬目の前が真っ暗になったが、足を踏ん張って舞台に立ち続けたとのこと。

島木譲二の水晶流血事件のyoutube動画

34分あたりから島木譲二の水晶流血事件のシーンが流れます。
血がドクドク流れるような動画ではありません。

島木譲二さんのお通夜・告別式はいつ?

通夜は19日午後7時から、葬儀告別式は18日正午から、いずれも新大阪典礼会館(大阪市淀川区野中北1-1-77)で執り行われる。喪主は妻の濱昭子(はま・あきこ)さん。

 

島木譲二さんの告別式に芸能関係者ら約200人が参列

 

脳出血のため16日に72歳で死去した吉本新喜劇の俳優・島木譲二(しまき・じょうじ、本名・濱伸二=はま・しんじ)さんの葬儀・告別式が18日、大阪市の新大阪典礼会館で営まれ、芸能関係者ら約200人が参列した。

藤井隆(44)
「だれにでも平等に接する方」嗚咽で言葉にならず

 吉本新喜劇座長の小籔千豊(43)
「かわいがっていただいて助けていただいた」と号泣。「僕がへこんでいたとき、舞台の袖で『周りが言うことは気にせんと、舞台で頑張らなあかんで』と励ましてくれた」と、優しく気遣ってくれた時のことを振り返った。

 新喜劇の後輩として「お客さんを笑わせてはけていく時の背中はすごくかっこよかった。同じ時期に新喜劇に出られてよかった」と感謝した。
 「舞台に出られなくなられたことは新喜劇にとって損失。残念です」と話し「島木さんを忘れないでほしい。これからもテレビなどで新喜劇を見たら、島木さんを思い出してもらいたい」と涙で声を詰まらせ、呼びかけるように話した。

 落語家の桂文珍(68)
「怖い顔だが優しい。人間が男前の人でした。飲みに行っても、まわりに気を遣って笑いを取ったり。ハートが男前でした」と人柄をしのんだ。

池乃めだか(73)
 弔辞の手紙がアナウンスで代読され「舞台では臆せず、体当たりの姿を見せてくれました。みんな、島木さんの姿勢はすごい、僕らも見習わなあかんと言ってました」などと、思い出をつづった言葉が会場の涙を誘った。

 法名は「慈願院釋譲道(じがんいんしゃくじょうどう)」で、「仏の慈しみの願いを受けてきた人。譲り合ってきた芸の道を精進してきた証、後生への道を作った人」という意味が込められているという。棺には、愛用の帽子と杖、新喜劇の台本、新聞などがおさめられた。ファン約300人も葬儀場の外で出棺を見守った。

 

 

島木譲二さんのお別れの会はあるの?

今のところ情報はないようです。

分かり次第更新いたします。

まとめ

最近、テレビで見かけないと思っていましたが、闘病されていたんですね。

大阪名物パチパチパンチ、面白かったというか迫力ありました。元プロボクサーだったとは知りませんでした。

「ポコポコヘッド」は灰皿を使うカラダを張った芸でしたね。

ご冥福をお祈りいたします。

 

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